拝啓〇〇様

ほかの誰でもない、誰かに向けて

祈り、最高の娯楽では?

どうもこんにちは、こたけと申すものでございます。日本一周しているんですが、今は一旦東京に帰ってます。

 

突然ですが、みなさんこの頃、祈ってますか?

 

どうでしょう?あんまり祈ってない?それはいけない、祈ったほうがいいです。

 

何を隠そう、僕、最近祈ることにハマってるんですよね。なんか手持ち無沙汰な待ち時間とか、祈って暇潰したりしてます。趣味になるまでありますね。

 

趣味特技で「祈ること」って言ったら、合コンでもてません?モテないか。

 

そんなイノラーと化しつつある僕が、「祈ることが最高の娯楽である5つの理由」を説明します。それっぽいサイトっぽく、「5つの理由」とか書いてみました。ウケる。

 

 

1、無課金で楽しめる

 

はい、まずこれ。パズドラがなんで人気かわかりますか?それはズバリ、無課金でも楽しめるからです。それすなわち、どんな人でも楽しめるということです。課金ゲーは、僕みたいな貧乏人にはできません。

 

同じように、祈りは無課金で十分楽しめるので、誰でも楽しめます。

 

だって、僕が生きて心の中で祈る分には、なーんにもお金かかりません。誰にお金を払わずとも、好きなだけ祈り放題です。

 

働けば所得税が、土地を持てば住民税が、ものを買えば消費税がかかりますが、祈ることに税金はかかりません。タックスフリーです。

 

と言っても、ここで気をつけなければいけないのは、基本無料ですが課金もできるということです。

 

パズドラとかでも、「〜〜ゴッド」とか「ゼウス〜〜」とかレア度の高い強い神様みたいなやつ欲しかったら、課金してガチャ回さないといけないんですよね。

 

祈りも同じで、特定の神様の力にすがるためには、課金をしなければいけない時があります。色々な課金システムがあって、何かしらを買ったり、収めたりします。

 

変なおっさんが縛り付けられてる十字架のペンダントとかも課金アイテムです。そのアイテムを胸に当てつつ、祈るわけですね。

 

ガチャシステムは日本の祈りでも導入されていますね。そう、おみくじです。パズドラとおみくじは結構似ています。円ではなく、魔法石とか初穂料とかね...

 

また、この課金システム、時としては運営側がエグい課金を要求することもあります。どこぞの祈り団体では、農作物の十分の一を課金せねばいけない時代もあったようです。怖いですね。

 

パズドラだったらTwitterで大炎上ですが、そっちはすぐには炎上しなかったようです。Twitterなかったからね。ただ17世紀くらいに改革があったっぽいですね。よくわからないですが。

 

また、具体的な名称は避けますが、どれがレア度が高い神だとか言い出すと、団体間で争いが起きるくらいには界隈は盛り上がっています。

 

僕は貧乏なので、正月の初詣で課金するくらいですが、世の中には何の変哲も無い水とかツボにうん十万と課金する人もいるようです。有り金全部つぎ込んで。課金額に上限はないんでね。

 

そういう人を、パズドラとかだと課金廃人と呼びますが、祈りでそういうこと言うと怒られます。ふむ。

 

でもまあ、現状祈りはタダで始めることができますし、尽きることはありません。試しに、胸の中で何か祈ってみましょう。大丈夫、Apple Storeの認証はいらないですし、怖いお兄さんも出てきません。

 

まず、いいところ1つ目。

 

2、5W1Hに拘束されない

 

2つ目。祈りは、いつ、どこで、どのように、誰と(or誰に向かって)、何のためにやっても、オッケーです。すべて自由。だから、暇なときはいつでもできるわけです。

 

もちろん、なんか団体によっては、ある程度ルールがある事もあります。一日5回特定の方向を向くとか、二礼二拍手一礼とか。

 

ただ、原則は好きにやればオッケーです。心の中で唱えてもいいし、声に出してもいいし、何を願っててもいい。

 

これだけ自由な物事、世の中にそうそうないですよ。今時。

 

何を祈ってもいいです。祈りというと何か仰々しいですが、些細なことでいいんですよ。

 

明日は晴れるといいなとか、あの子が帰り道で話しかけてくれるといいなとか、この座ってる人次の駅で降りてくれないかな、とか。

 

祈りってのはどこまでも日常に寄り添ってて、僕らの手の中にあります。

 

3、回数制限がない

 

これも1つ目に被りますが、祈りは無限にできます。あなたが生き、健全な精神を有している限り、祈ることができます。

 

だいたい金銭と時間の問題に集約すると思うんですが、物事ってだいたい回数制限があるじゃないですか。食べたらなくなっちゃうし、使ったら終わっちゃう。

 

けど祈りは無限です。無限。小学生男子みたいなこと言ってますが、無限です。正確に言えば、可算無限。

 

だから、祈りは生涯の趣味にできます。老後の楽しみがないって言ってる皆さん、祈りましょう。時間がなくて趣味がない社会人の皆さん、祈りましょう。

 

祈っても祈っても、無くなりません。

 

4、デメリットがない

 

いいところ4つ目。

 

祈って悪いこと、ないです。祈ることで、この世の何かしらのパイが減ることは一切ありません。常にプラス側に動きます。

 

あなたが祈って誰かが不幸になることはなく、世の中のお金が減ることはなく、アフリカの人が飢餓に陥ることもなく、北欧の森林が破壊されることはありません。

 

祈りは絶対的な幸せです。これもすごい。

 

世の中だいたいゼロサムゲームの呪いにかかっていて、「あいつの不幸は俺の幸せ」なんてことが日常生活でも社会競争でもよくよく起こるんですが、祈りはその呪縛からときはなたれています。

 

5、誰にも邪魔されない

 

今、心の中で何か祈ってみてください。何でもいいです。美味しいご飯が食べたいなぁとか。

 

はい。誰かに邪魔されたかでしょうか。されませんでしたね。文句言ってくるおっさんとか、よくわからんリプ送ってくるアカウントとか現れませんよね。

 

誰も他人の祈りを邪魔できない。これも、祈りのいいところです。

 

今の世の中、何かをなせば必ず批判されます。それはもう自動追撃システムが発動しているので、どんな行為にも悪意を見出す人がいて、必ず誰かしら怒っています。大変だ。

 

でも、祈りはそんなことありません。祈ったことを心の中に留めておけば、それはあなただけの、誰にも邪魔できない行為です。自由ですね。

 

まとめ

 

以上、祈りが最高の娯楽である理由を5つ紹介しました。

 

日々お疲れでしょうが、たまには空でも見上げて祈ってみるのも悪くないと思いますよ。

 

祈りは、地球上で人類だけに許された、至極の精神の営みです。

 

本エントリでは、「他の誰かが『明日も幸せであって欲しい』と思えること」が、いかにすごいということを改めて伝えたかった次第です。

 

もちろん、祈っても何も変わりません。だけど、だからこそいいんですよ。祈って何かが変わり出しちゃったら、祈りは何か薄汚れたものになると思います。

 

何も変わらないからこそ、祈りはどこまでも自由で美しい。そう思っています。それはまさしく、星が僕たちの意思で動いたりしないから美しいのと同じです。

 

祈ること、それは何ものにも支配されず何事も支配せず。始まりから終わりまで、それ自体で完結します。 

 

そんな訳で、僕は今日も祈っていきます。幸せになれますように、とか。一緒に祈っていきましょう。以上こたけ。