拝啓〇〇様

ほかの誰でもない、誰かに向けて

文章

文章を書く。

 

このブログを書こうと思うのは、だいたい孤独な夜で、その度にこんなことしてても仕方がないという気持ちになる。

 

抽象的な内容のエントリを途中まで書いて、酒を飲み、結局だるくなって下書きにしたまま終わる。そんな記事が山ほどある。

 

この記事もそうなるかもしれない。まあそれでいい。

 

人生において重要なことはなんだろうか。もしくは、足るを知り分を知るとはどういうことだろうか。

 

それ以外のことは考えたくもないし、考えていないのかもしれない。

 

自分の人生に意味があると信じたことは一度もないのだが、他人の人生に意味があると思ったこともない。こういう風にいうと不快になる人もいるのかもしれないが。

 

春が来れば花が咲き、夏が来れば木々が生い茂り、秋が来れば鳥が稲をついばみ、冬がくれば皆死ぬ。

 

どこに意味を求める必要があるのか。あるのは巡り巡る季節、はるか彼方の星々、そして明日の生活くらいだ。

 

それ以外は全て曖昧模糊、中距離的な偶像に過ぎない。そういう感覚が常にある。今夜は寒いからそういう気持ちが強いのかもしれない。

 

こんなことをここに書いても仕方ない、しかし、匿名でくらい好きに書かせてほしい。

 

自分は元来から、他人の芝生を土足で踏み荒らすようなことばかりしていた。それは他人の芝生が青いからでなく、青くない芝生を青いと言われることに腹がたつからだ。

 

君が神格化しているものは、本当に神か?自分のみが見てきた、他人はまだ知らないと信じている景色の話ではないのか?

 

もちろん俺の人生は、そういった無知や傲慢で形成されている。恥ずべきことであり、一生恥じて生きていかなければいけないのだろう。

 

消費した過去と、消費する未来の中で、自分は一体何をなすべきなのか。何をなせるのかすら怪しい。

 

人生の多くについて、反射的にちょっかいを出してきた。ふと顔を上げると周りには敵しかおらず、その度に別の環境に逃げ出して生きてきた。何かが狭まっていく。

 

そのようなことを繰り返しだんだんと袋小路に迷い込んで行き、行き詰まったが最後、それが死ぬ時なのかもしれない。

 

特にしめる言葉も見つからないが、こう見えて皆さんの幸せを祈っている。