拝啓〇〇様

ほかの誰でもない、誰かに向けて

キモチップが炎上しないためにはどうすればよかったのか

Twitter、まるで蠢く虫の大群のようだった。

 

有象無象のミームが、指数関数的に広がっていく。ハイモジモジ関連のツイート数の時間的推移や統計データがあったら、見たい気持ちだ。

 

とはいっても、勢いのある話題は腐るのもはやくて、いつまでも口にしてると僕にダメージが返ってくる可能性さえある。

 

しかし、ハイモジモジには、個人的に良いと思う文房具も売られている。

 

だから、書かないといられなかった。

 

 本来は評価されてもいい商品が評価されず、有象無象とともに沈んでいってしまうのは、シンプルに悲しい。キモチップが炎上しても、他の良い商品は炎上して欲しくない。

 

だから、今回のキモチップは何が原因で、どうすればよかったか、考察する。

 

そもそも炎上の発端は、何だったか

 

キモチップの炎上の発端は、「店員さんへの感謝の気持ちを、お金じゃなくて小洒落たメモ帳に書いて伝えよう」への反感だったように思う。

 

燃え出した後から、夢小説とかケーキおっさんとか、村上春樹まで出てきてしまって話がわたあめのように膨れたが、もともとの炎上は上記のことが核だ。

 

なので考えるたいのは、「店員さんへの感謝の気持ちを、お金じゃなくて小洒落たメモ帳に書いて伝えよう」がなぜ反感をかったか、だ。

 

これを僕としては、「店員さんへ感謝の気持ち」と「小洒落たメモ帳」は相性が悪いからだったと考える。

 

ただ、「相性の悪さ」にはいくつかの事象が絡まっていて、1つずつ見ていきたい。

 

キモチップとモノの役割;いいメモ帳

 

全てのモノには、そのモノに特有な役割がある。実存が本質に先立つかどうかは別にしても。

 

ハサミには紙を切るという役割が、 ペンには字を書くという役割が、ある。

 

そしてモノの役割の重要な性質は、客観性だ。

 

ある人はハサミを紙を切ることに使うが、ある人はハサミで文字を書く、なんてことはあり得ない。

 

「みんなが同じものを同じように使う」ということは、資本主義におけるモノのスタンダードだ。

 

だから当然、「いいハサミ」「わるいハサミ」が出てくる。

 

モノの役割を向上させなかった

 

じゃあ、キモチップのコンセプトは「メモ帳の、情報を他者に伝達するという役割」何らかの形で向上させただろうか。

 

僕の答えは、Noだ。

 

お気持ちを表明したり、数字を書いたりしたところで、「メモの情報伝達の役割」には何の変化もない。

 

ただ、伝えられている情報が増えているだけ。

 

この、「モノが持つ役割に対して適切な改善を行えなかった」というところが、今回の炎上の本質にあるような気がする。

 

キモチップを販売しているハイモジモジの他のメモ帳を見ると、メモの役割を適切に改善しているものもある。

 

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これらは、「よりわかりやすく情報を伝達させる」ようになっている商品だ。こういう商品は、評価されるべきだろう。

 

ただ、「キモチップ」は「いいメモ帳」じゃなくて「わるいメモ帳」だった。

 

店員さんへの感謝

 

モノの役割が客観的な一方で、「感謝の気持ち」は非常に主観的な性質を持つ。

 

自分が感謝していても、相手が感謝をしているとは限らない。

 

なぜなら、感謝とはある行為を観測した上で発せられる感情だが、行為は異なる人間の間で非対称だし、全く同じ観測を両者がしたとしても立ち現れる感情は異なるからだ。

 

「女子大生に感謝されたい気持ち」と「おっさんに感謝する気持ち」が直接がっちゃんこすることは、まずない。

 

みんな怒っているのは、要するに、「君の主観を、私の主観と同一視するな!」という話だ。

 

つまり、主観の同一視の問題だ。

 

僕たちの辞書の「主観の同一視」の説明には、「お節介」や「ありがた迷惑」あたりの言葉がついていたけど、今回の件で「キモチップ」が仲間入りしてしまった。

 

大変だ。

 

間主観のやりとりを担保するモノ

 

でも、間主観的なやりとりが、本当に不可能なのか。

 

自分の感謝の気持ちは、誰かに届けることはできないのか。

 

これは、できる。

 

わかる方にはわかる通り、『主観的なものが客観的なものへとすり替わり、さらに他の誰かの主観へとすり代る』という行為は、人間社会を構成する根源的なあり方だ。

 

「間主観的なやりとりを媒介する」目的を得ているモノが、ちゃんとある。

 

それは、小洒落たメモ帳なんかじゃなくて、そう、貨幣だ。お金だ。

 

まさしく、チップは非常に合理的な話で、気持ちという主観性をお金という客観性に変換して回している。

 

感謝の気持ちは、相手も価値がわかる形で表現されなければいけない。自分の感謝の気持ちを、相手が無条件に理解できると考えるのは傲慢だろう。

 

みんなが暮らしやすくあるために、お気持ちの共通言語は、笑顔じゃなくて福沢先生であるべきだ。

 

もうすぐ渋沢さんになるけど。

 

結局どうすればよかったか

 

こう考えると、小洒落たメモ帳の炎上には、3つの事象が重なっている。

 

①「メモ帳が持つモノとしての役割」を履き違えた形で商品を作った

②「店員さんへの感謝の気持ち」という主観は、他者の主観と同一でない

③ 間主観のやりとりを担保する目的があるモノは、「メモ帳」じゃなくて「貨幣」だ

 

要するに、「お気持ち」と「メモ」は別の次元にあり、両者を同じ文脈で乗っけるのは相性が悪いと思う。 

  

しかるに、キモチップおじさんが、正しい形でそのデザインの才能を発揮するには、どうしたらよかったのか。

 

先ほどの3つの事象を見ると、②を解決することはできなさそうだろう。主観ー主観のダイレクトなやりとりは、社会的には厳しい。

 

だからこそ、①と③の原因から切り込みたい。

 

まず思いつくのは、「貨幣のデザインをスタイリッシュにしよう!」運動をすることだ。

 

間主観的なやりとりを担保する貨幣自体の機能(③)をそのままに、メモ帳にすり替えず貨幣のデザインを刷新する方向に持っていく。

 

ひいては、貨幣のデザイン更新頻度を高める運動とかでもよかったかもしれない。ただこれはあまり現実的でないと、思う。

 

 もしくは、「貨幣に近い目的をもっているモノに、お気持ちをプラスできるようにする」ことだ。

 

キャッチーなデザインの領収書とか、手書きの部分がある小切手とか、折り目のついているレシート紙とか、そういうものを作り上げていくという手があったのではないか。

 

ただこちらも、難しい。

 

結局、「貨幣の普遍性」は主観的なものをなるたけ排除しているからこそ成り立っている。

 

おわりに

 

僕はあまり社会を知らないし、知見が甘いところが多々あるはずだ。炎上の原因はもっと掘り下げられるのかもしれない。

 

色々な人が建設的な議論をしてくれると、個人的には面白い。

 

ここまで燃えているんだから、無理に鎮火しようとせず、むしろ徹底的に焼いて新しい1から新しい街を築くくらいの気持ちでいても、いいんじゃないかな。

 

 

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