拝啓〇〇様

ほかの誰でもない、誰かに向けて

書評:『カラフル』-森絵都-

妙に好きだった女が、「森絵都のカラフル読んでよ」って言ってきた。

 

その時は曖昧な返事をしただけで読む気は一切湧かなかったが、特に目的もなくブックオフに行ったときに思わず手にしてしまった。250円だったし。新書なら絶対に買わなかった。

 

そんなわけで今日はカラフルを読んで思ったことを書いていこうと思います。

 

 

カラフル (文春文庫)

カラフル (文春文庫)

 

 

「おめでとうございます、抽選に当たりました!」。そう言って、死んだはずの“ぼく”の前に現れた優男風の天使。生前にあやまちを犯した“ぼく”は輪廻(りんね)のサイクルから外されたが、天使業界の抽選で選ばれ、再挑戦できることに。チャレンジ内容は、自殺未遂をした少年、小林真の体に「ホームステイ」して修行するというもの。が、この真、家庭でも学校でも深刻な悩みを抱えているようで……。

 

カラフルは森絵都のヤングアダルト向け小説。児童書だし、おそらくターゲット的には中高生。10代後半の人間が感情移入しやすいような設定になっていると思う。

 

ただ大人が読んで楽しめないかというとそういうわけでもなく、家族や不倫やいじめなどの暗い話題を軽いタッチで描いたそのストーリーは多くの中高年からも共感されている。『周りの人の大切さを知った』『肩の力を抜いて生きられるようになった』なんて感想を持つ人も。

 

個人的には諸所に見られる『若さ』についての表現が好きだった。

 

と、ネットに氾濫するうっすい読書感想文みたいなのはこれくらいにして、いざ自分がこの小説とどう向きあったかを留めたい。それが僕が書く意味になるはずだから。

 

 

 

 

ぁこれ5年前くらいに読みたかったな、 というのが読んだ最初の感想だった。5年前の僕であればこの主人公に感情移入して、彼の悩みや救いに対して純粋に向き合えた気がする。

 

ただ、この主人公に感情移入するにはもういろいろなことを経験し過ぎてしまった。そう思うことで今の自分を肯定したいだけなのかもしれないけど。

 

主人公の小林真は不幸な人間だ。だから彼は自殺を図る。

 

しかし、描かれる不幸はもはや僕にとって何の変哲も無い日常でしかない。むしろよっぽどマシな気がする。

 

母親が不倫している、尊敬している父親がゲスい、好きな子がおっさんとホテルにいく...15のときだったら確かに辛いはずだ。

 

でも今そんなことで辛くなってたらにっちもさっちもいかない。

 

少なくともこの話の中では皆救われる。家族は最後わかり合うし、援助交際に励む女の子は狂った自分を肯定してもらえる。主人公は一歩踏み出して話は終幕だ。

 

だからこそ、こんなのを不幸だと認めてしまったら今の自分は救われない。あるいは救われないのではないかと恐怖してしまう。これぐらいだったらどれだけ良かったことか、と。

 

不倫は一回じゃ終わらなかったし、仲違いした夫婦は戻らなかった。死んだ人間は今のところ返ってこないし、一度墜ちたあの子は墜ち続けるだけだった。

 

僕のつまらなくて無価値な人生は、どうやら小林真の人生とはそりが合わなかったようである。

 

この小説に描かれているより辛い半生を送る自分も、最底辺のそれに比べたらまだマシな方だと言い聞かせながら、泥沼の中で必死に生きているのだから。そうやって盲信することが自分の最後のプライドになっているから。

 

幸不幸の尺度なんて所詮主観的なものに過ぎないから、15の小林真君にとってはこれらのことが、それこそ死にたいくらいの絶望なのだろうと想像は可能だ。

 

だがそれに共感できない。少なくとも、素直に共感しようとしない自分に嫌気がさす。

 

自分を憐れむことでしか自分を守れなくなった21の僕には、斜に構えて受け取ることしかできなかった。泣けちゃうね。15の僕にはカラフルよりもこのブログも見せつけてえな。

 

 

ういうことを考える度に思い出されるのは、高校の時に出会った森鴎外の『舞姫』だ。

 

僕があの作品が好きだ。誰も救われないからだ。そして誰も死ねないからだ。

 

悲しみで完全に気が違えてしまったエリスも、不幸なそのお腹の子も、全てを捨てて出世街道に戻ろうとした豊太郎でさえ『ああ、相沢謙吉がごとき良友は世にまた得がたかるべし。されどわが脳裡に一点の彼を憎むこころは今日までも残れりけり』と後悔と憎悪を抱えて生きるのだ。

 

死なんてハッピーエンドは用意されていない。待っているのは絶望の生だけだ。

 

この作品は森鴎外の贖罪であるとも言われているらしい。

 

欧米文明の自由の風に当てられてしまった男は、まるで自分も自由だと勘違いしてしまったのだろう。言葉もかわせぬ異国の遊女と永遠の愛を誓い、仕事も家族も説得できると信じてしまったのだろう。

 

これを思い返すと、僕にはカラフルで描かれている世界が嘘っぱちに見えて仕方ない。嘘っぱちではないか。ただあぁそういうもんでしょうなと思うだけだ。

 

物事には色々な姿があるって、みんなどっかしら狂っているなんて、すぐ分かることだ。そんなこと誰に言われなくたって、15の僕は気づいた。

 

それがわかったところでなんの救いにもならなかった。愛していた人間も、信じた言葉も、別れ際に感じる絶望も、狂っているからそれもまた物事の一面だからなんて話じゃ片付いてくれない。

 

それにだ、死んだらやり直しはできない。だから死ねないんだ。死んだ後のやり直しにどれだけ価値があるかはわからないが、人生に再挑戦はないから僕もエリスも死ねないんだろう。死を介した和解なんて有り得ないんだ。

 

と、ここまで書いてふと思った。それらを全部踏まえた上で森絵都さんはカラフルを書いているのかもしれない、と。絶望もへったくれもわからない中高生に向けて、彼らの身の丈にあった不幸と救いを提供しているのかもしれない。

 

少なくともこれくらいの不幸だったらまだまだ救われるから、死んだ後のこんなやり直しは所詮ファンタジーだから、死ぬんじゃないぞって。

 

なるほど、そう考えるとやはり良くできた作品な気がする。5年前に一度出会いたかったな。つくづくモノクロの人生に後悔せざるを得ない。ちくしょう。

 

 

現代語訳 舞姫 (ちくま文庫)

現代語訳 舞姫 (ちくま文庫)