【雑記】毎日更新は幸せか?Lo-Fiインターネッツでいこう。
※先日あげた記事と内容自体は似ているのですが、根性入れてテキトウに仕上げたのが本エントリになります
ブログを毎日更新できなかった。遺憾である。
ただ、遺憾だけれども、何か悪いことをしたとは思わないし、自責の念にかられることはない。
むしろ、人の家に泊まらせていただいているのにパソコンいじる人間になっていなくてよかったと思う節まである。
まあ、我ながら気楽なものだと思う。
こんなお気楽な調子でブログを続けていられる理由は、ただ1つ。
僕のブログが、金を稼ぐこととは無縁なところにあるからだ。
インターネッツで稼ぐということ
『インターネッツで稼ごう』の盛り上がりはまだまだ衰える感じはせず、むしろメディアの多様化や現実社会の閉そく感にケツを押されて、いっそう熱が高まっていると思う。
『インターネッツで稼ごう』の熱が高まるなかで、インターネッツで稼ぐなら『毎日更新』をしようというスタンダードが現れている。
Youtubeでもブログでも、『とにかく毎日更新して、新規のハードルを低くして流入を増やしつつ、資産コンテンツを積み上げましょう。』というのがよく謳わるようになっている。
この毎日更新のスタンダードは、現実世界ではかなりふつーのとして取り入れられていて、インターネッツでも同じことが起きていること自体はあまり不思議なことではない。
だって、僕だっていつ空いているかわからない個人店はあんまり行きたくない。
それよか、24時間空いているコンビニや、年中無休のチェーンの居酒屋に行きたい。安心感がある。
要するに、毎日更新は顧客(ユーザー)目線ではかなり重要なスタンダードなのだ。
インターネッツが商売の場になりつつある中で、現実世界と同じことがインターネッツで起きている。
かくして『インターネッツで稼ごう』は、『毎日更新』を至極当然のようにひっさげて、不毛の地であったインターネッツを爆速で開拓している。
スーツ着たお兄さんが島にある日突然現れて、山を根こそぎ買いしめ整地して、ゴルフ場をぶったてる。
インターネッツが、そういうことになっている。
ゴルフ場ぶったてるみたいな光景は、バブルとともに終焉を迎えていてもう見ることは叶わないと思っていたんだけど、見れてしまった。
ありがとう、インターネッツ。
毎日更新は幸せか
ただ、この『毎日更新』が本当に幸せを運んでくれるコウノトリかどうかは、議論の余地があると思う。
もちろん、『一年365日ブログを書きたくて仕方がない!』みたいな人はそりゃもう毎日更新したらいい。
ただ、普通の人間なら、『毎日休みなくブログ更新したい』なんてことは絶対あり得ない。
断言できる。生命ってのは、飽きてしまうものなんだ。
ウンコするという生理的な行為でさえ毎日更新できないのに、誰が見てるかわからないインターネッツコンテンツを毎日更新する。
そんなことをやろうとするのは、まあ苦行だと思う。
もちろん、毎日更新の先にはものすごい成功が待っているかもしれないということを承知した上で、だ。
今では、ブラック企業で働くのに疲れた人が、好きなことで生きていく!とインターネッツの海に飛びこんでいく光景も普通になった。
その結果彼らが何をしているかというと、睡眠時間を削って毎日パソコンに向かい、寝ても覚めてもインターネッツのことを考え、昼夜を問わずツイッターのリプを返し、暇さえあればブログのPV数を確認する。
こういう忙しそうなインターネッツ人を見ると、ブラック企業もこうして生まれていくんだなあと思わずにはいられない。
ほんまつてんとう虫、なんて歌が、NHK教育のみんなの歌であったりする。
これはかなり確信を持った予想だが、近い将来『ホワイトYoutuber』とか『Youtuberの働き方改革』とか、インターネッツでの過酷な毎日更新に反対する運動が出ると思う。(もうあるのかもしれないけど。)
そうやって、インターネッツもどんどん現実の仕事みたいになっていった先で、疲れた人類が逃げ込む先がどこなのかは、まだちょっとわからない。
けど、自由な働き方ってのは、『働きたいときに働いて、休みたいときに休める』ことだと信じている。
それは、企業でも、インターネッツでも同じなはずだ。
インターネッツにいるみなさん、大丈夫ですか?休めてますか?身体は壊していませんか?
Lo-Fiインターネッツでいこう
ニコニコ動画で有名な加藤純一というおっさんが、「毎日更新してるYoutuberは、時給が高い刑務作業をやっているだけ」と言っていた。
個人的に、これは至言だと思う。
もちろん、『時給が高ければ刑務作業でも喜んでやる』というマインドネスは、生きていく上で重要だ。
だけどやっぱり、インターネッツにはLo-Fi的なところも残って欲しい。
クオリティの低いコンテンツが許され、クオリティが低いということが一つのコンテンツになる、ということ。
洗練されてなさ、ノイズ、なんだかよくわからないもの。
インターネッツでは、そういうことに陽が当たって人が集まり、なんとなく面白くなってるという場が残っていて欲しい。
少なくとも僕は、ヴェニスの商人を目指しつつも、もう少しLo-Fiインターネッツを楽しみたいと思います。
多分、そのうち、インターネッツからLo-Fiコンテンツが排除されていくと感じるから。
もし近い将来インターネッツがコンビニになってしまったら、みなさんはどうしますか。
僕は、散歩でもしようかなと思います。
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