拝啓〇〇様

ほかの誰でもない、誰かに向けて

書評:『スティル・ライフ』-池澤夏樹-

どうも、こたけと申すものでございます。本エントリでは、ネット経由のオススメで読んだ、『スティル・ライフ』のことを書きたいと思います。ちな、前回は森絵都の書評をしたので、よろしければ。

 

www.kotake.work

 

 

個人的な感想から言うと、とても好みの小説でした。小説というよりはエッセイに近いかもしれません。

 

感情移入をするというよりは、どこまでも透明で、読んでいて透き通った気持ち良さがありました。純度の高い氷を見つめているかのようです。

 

そういう中にも現代社会に対する深いメッセージがあり、純度が高いからこそストレートに伝わってくる感じです。

 

スティル・ライフ (中公文庫)

スティル・ライフ (中公文庫)

 

 

簡単なあらすじはWikipediaその他サイトに任せましょう。印象的であったいくつかの節と、そこで思ったことを記していきます。

 

この世界がきみのために存在すると思ってはいけない。世界はきみを入れる容器ではない。[…] 大事なのは、山脈や、人や、染色工場や、セミ時雨などからなる外の世界と、きみの中にある広い世界との間に連絡をつけること、一歩の距離をおいて並び立つ二つの世界の呼応と調和をはかることだ。たとえば、星を見るとかして。

 

これが冒頭の一節だ。

 

最初に読んだ時の感情は、悔しいだった。僕が21年間、必死に表現しようとうとまがいなりにも努力してきたことが、端的に書かれていた。これだよ。俺はこれが書きたかった。他の誰でもない、俺が書きたかった。

 

自分と世界を調和させること。これは僕の人生におけるテーマと言える。この最初の一節だけで、僕はこの本が好きになった。

 

二つの世界の呼応と調和がうまくいっていると、毎日を過すのはずっと楽になる。心の力をよけいなことに使う必要がなくなる。水の味がわかり、人を怒らせることが少なくなる。星を正しく見るのはむずかしいが、上手になればそれだけの効果があがるだろう。星ではなく、せせらぎや、セミ時雨でもいいのだけれども。 

 

これも、僕がずっと思い考え続けていたことが言語化されていて、気持ちよかったが悔しかった。

 

僕はずっと星が見るのが好きだった。東京に来てからは難しいが、それでも一年に何度かは時間を見つけて郊外へ星を見に行っていた。

 

現代日本の生活レベルはとても高い。夜は星を見なくても電子の世界が暇を構ってくれるし、まずい水道水なんて飲まなくても美味しいミネラルウォーターがコンビニで手に入る。

 

それはかりそめの世界だ。不安定な自然の脅威から自らを隔絶し、虚構の安定と平穏に取り込まれた世界。人類の進化の証である。

 

だが、厚すぎる膜は殻となる。今いる自分の世界のスキームが、まるで世界の全てだと勘違いすることがある。だからこそ、星を見る。星は、僕らの世界がどれだけ発展しても、位置を変えずにそこにあるから。

 

大事なのは全体についての真理だ。部分的な真理ならばいつでも手に入る。

 

その通りだ。だから答えが出せない。今持っている価値観とスキームの中で答えを出すことなんて簡単だ。けどそれは、普遍的になり得ない。

 

うるさいビジネスマンで、よく、自分の業界のことが全ての世界のように語る人がいた。僕はその人が嫌いだった。彼が語っているのは部分的な真理なはずなのに、まるで世界が隠してきた秘密を見つけたように語るからだ。

 

「きっと、人の手が届かない領域は案外広いんだよ」と佐々井が言った。「高い棚の隅に何か小さなものが置いてある。人が下から手を伸ばして取ろうとするけれど、ぎりぎりの隅の方だからそこまでは手が届かない。踏台がないかぎりそれは取れない。そういう領域があるんだ」

 

量子論、そしてカオス理論。大学でこれらの学問を多少なりともかじった身としては、よくわかる。

 

神はいない。が、世界は予測不可能性に満ちている。バタフライエフェクト。理解できることと、本質を掴んでいることは違う。結果として僕らは量子のゆらぎを観測できるが、観測する前の状態をコントロールすることはできない。

 

「一万年くらい。心が星に直結していて、そういう遠い世界と目前の狩猟的現実が精神の中で併存していた」「今は?」「今は、どちらもない。あるのは中距離だけ。近接作用も遠隔作用もなくて、ただ曖昧な、中途半端な、偽の現実だけ」 

 

バイクに乗っていると、この感覚を思い出す。時速100キロのバイクにのって0.1秒の操作を要求される僕と、風や空と行った何千万年の歴史に溶け合う僕。この2つが矛盾なく溶け合っている。

 

こういう感覚は、日常の中ではなかなか得られない。いや、得られているのかもしれない。

 

終わりに

 

境界が溶けるということ。これは僕の人生の命題だ。この小説は、他者と自分、世界と自分といった、並び立つ2つのものが溶け合っている。

 

僕は、この感覚についてずっと考えていた。これからも考え続ける。今まで固定されていた区別が曖昧になって、なんとも言えないものが生まれる。ここに自分の生きる意義があると思っている。

 

カオスも、国際関係論も、DVも、境界性人格障害も、セクシャルマイノリティーも、僕が人生をかけて向き合ってきたことがこの1点に収束していく。

 

負けられない。俺はこの作品に負けられない。絶対負けない。人生終わる頃に、「スティル・ライフを超えた」絶対そう言ってやる。以上こたけ。